水曜どうでしょう

 

ここ1ヵ月、1日中水曜どうでしょうばっか観てるけどやっぱ面白いわ。というか何十回もループして、もう面白いとか思わなくなっても観れる、みたいな。見飽きてんのに普通に見てられる、じゃあもう最強のコンテンツだろそれ、みたいな。

 

雑誌のインタビューだかなんだかでディレクター陣が「どうでしょうは10年経っても20年経っても全然画ヅラが古くなってない」とか自画自賛してて、そんでその理由を「そもそも大泉洋の髪型とか服装が、その当時も流行ってないファッションだったから」みたく言ってて、なんかアフォリズムっぽいっつーか、気の利いた説明だな、みたいな。要するにいつ見ても「どうでしょう」大泉洋は時代から切り離されてて、時代を体現してなくて、どこの時間にも属さないまま「どうでしょう」のカメラの前でぼやいてる、みたいな。宙吊りの、抽象化された大泉洋

 

キリスト教徒にとって聖書が、「2000年前、3000年前にどこそこで誰の手で書かれた」みたいな時間とか空間の枠、「事実」をぶっ飛ばして読まれる、挑まれる絶対的な代物、ってのと似た感じで、俺らどうでしょうのファンは、その水曜どうでしょうを観てる、ぼーっと口を半開きにしてケツぼりぼり掻きながら1日中眺めてる、って気がする。水曜どうでしょうでさえあれば、画面に大泉洋さえいりゃいつどこに行っても何やってもいいよ、みたいな。別に内容とか関係ねぇわ、みたいな。