V6

 また観てた。『ホールドアップダウン』って20年ぐらい前の映画。V6が主役の話。なんでか分からんけど好きなんだよなこれ。いやまぁ、多分V6自体をけっこう好きなんだろうけど。俺も含めて今30半ばぐらいのおっさんおばちゃんはちょうど小学校の頃、V6がやってた学校へ行こうってガキ向けの番組が直撃してた世代で、それがもう刷り込み的な感じになってて、特別ファンってわけじゃなくてもなんとなくV6ってグループに好感持ってる、ってヒトが多い、みたいな。いやぁ嵐よりV6でしょ、みたいな。

 

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 最近たまたま見たV6絡みの記事、これけっこう「おぉ」って思ったな。森田剛が旅難組で観葉植物買ったけど値段はバラさなかったってエピソード。要は値段とか教えるとそこに焦点行って「そんなもんにそんなに金使うの(笑)」みたいな変なマウントの餌になるからってことで、それはまぁそうだよなって感じで、なるほどな、ぐらいのもんなんだけど、でもほんとは何を買ったかすら見せたくなかった、できればそこも隠して放送したかったとか言っててマジかよ、みたいな。その発想はなかなか出てこないよな。買ったもんすら分からないって普通に考えてそれ番組として成立してないだろ、みたいな。まぁだから実際さすがにそうはならなかったらしいけど、でもなんつーか、すげぇなこのヒトっつーか、なんか俺には見えてないもんが見えてんだろうなっつーか、けどまぁ確かに、そう言われりゃそうだよな、別に何を買ったかなんてどうでもいいよな。成り立つよな、そんなもんなくても。買っても買わなくても。どこにも行かなくても。

 

宮沢賢治

 久々に宮沢賢治の詩、読んでる。昔、新潮文庫の薄いやつ1冊読んだきりだったけど、けっこう好きだった。今読んでもイイなっつーか、ちょうどいいんだよな。現代詩ってどうしてもこう、「ぼく/わたしの感性の繊細さ、独特さのお披露目会」みたくなりがちで、いやまぁしょうがないっちゃしょうがねぇし、それ全否定するわけじゃないけど、まぁでもやっぱ基本押しつけがましくてうざいんで、そういう鬱陶しさの少ないこのヒトみたいな詩はかなり貴重っつーかありがたし、みたいな。タイプは違うけど、ボルヘスの詩も宮澤と同じぐらい詩としてのうざさがないから昔から気に入ってて、要するにボルヘスの詩はほぼ小説みたいなもんでちゃんとヤマとかオチがあって「感性」に頼らないっつーか、叙事詩のパロディだけど叙事詩としての読み心地も失ってなくてそれがイイぜ的な、いやよく分からんけど。

 

 あとこのちくま文庫版のやつは1冊700ページぐらいあって分厚いってのがイイ。バシバシ読んでいける。いや基本、本は短きゃ短いほどイイと思うけど詩の場合は薄っぺらいとなんかこう、大事に読もうとしちゃうっつーか、集中しねぇととか思ったりして、で、そういう自分に死ぬほどイラつくわ、みたいな。要するに詩ごときをがっちり読もう、分かろうとしてるこのみみっちさ、ケツの穴の狭さ、みたいな。そもそもどうでもいいよ、みたいな。で、だからこれみたく700ページとかあればそういう「ちゃんと読む」みたいな力みから解放されて鼻くそほじりながらぼーっとバーっとページめくれてオッケーオッケーみたいな。目、泳いでも読み直そうとかって気にならずに済んで、今のやつよく分かんなかったな、まぁいいわ次いこうぜ、みたいな。ガンガンいこうぜと。別に何でもいいわ、紙の上にぱらぱら、適当に字、何個か散らばってりゃそれでいいよ、もういいぜ、みたいな。

 

受験と子育て

 

 毎年この時期、受験関係のニュースいろいろ流れてきて、で、反射的に思うのがいや子どもキツすぎだろ、みたいな。こんだけ少子化マックスでガキなんかどこにもいなくなってんのになんで中学受験とかこんな熱き戦いになってんだよ、アタマ数いないんだからもっと蝶よ花よで甘やかされてていいだろ、まだちん毛も生え揃ってないうちからそんな勉強勝負、競争にダイブしなくていいだろ、20歳くらいまで延々ゲームでもやってろよ、みたいな。ポテチ食いながら。

 

 で、それ系のニュースと一緒に流れてくるのが親の話。要するに「息子全員東大行かせたママの子育て論」的な記事。別に内容はどうでもいいけどちょっと興味あるのは、その手の「子どもを成功させました」的なインタビュー受けたり、なんならそういう本出したりした親ってそのあとどういう感覚になるんだろう、みたいな。要するにそういう受験とか含めた「子育て」って死ぬほどパーソナルでそいつらにとってオリジナルな体験のはずで、で、そういうオリジナルで「取り返しのつかない」モノを取材で喋るとか本に仕立てるってのは、つまりまぁ公共化するっつーか、要は自分のその子育て(の成功)には普遍的な価値があると思うから言葉にして世に出すんだろうけど、けどなんかこう、それは自分とガキの1回性のかけがえのない日々を「普遍」へと差し出してる、って気分になったりしねぇのかな、みたいな。なんなら「普遍」へと貶めてる、的な。オリジナルで替えが効かないはずのその体験とか記憶が自分のモノじゃなくなる、「テクニック」ってふうに変わっちまう、みたいな。その感覚に襲われてふっと死にたくなったりしねぇのかな、みたいな。いや分からんけど。いやまぁ、それ言ったら世の中の自己啓発本とかhow to本とか全部そうなんだろうけど、つまり自分の成功の過程を「術」として普遍化する、普遍化する価値があるって思うからそうするんだろうけど、いやでも、子育て、子どもの受験合格させました、みたいなのは要するに自分とは別にまさにその当の子どもっていう「他者」がいるから、なんかこう、単に自分ひとりのサクセスストーリーを「普遍化」させることよりはこう、何か思うトコロがあったりとかしねぇのかな、要は子どもに失礼、子どもを汚しちまった、とか思ったりとかすんのかな、みたいな。

 っつーか仮にそういう「受験必勝子育て術!」的な本出したあと、読んだヒトから「おかげでウチの息子もハーバード受かりました! デカパイ感謝」的なファンレターとか来たらどう思うんだろうな。自分の子育て(の普遍化、マニュアル化)がヒト様の役に立ったぜって嬉しくなるのか、それともこう、自分と子どものオリジナルな日々、成功への歩みは他人がマネできる、所詮よその家がなぞれる程度のモノでしかなかった、自分たちは特別でもなんでもなかった、なんて、そんなふうに引きずり下ろされちまった、ってふうにへこむのか、どうなんだろうな、実際。ってかまずそもそも、「子育て術」の本とか出された子どもってどう思ってんだろうな。俺がガキなら死にたくなるけど。

 

謝罪

 

 マネージャーとデキてて活動自粛になったアイドル、のニュース、久々にあれ思い出したな、10年以上前にAKBのヒトが彼氏いたのバレて丸刈りで謝罪動画の配信したやつ。あの頃はまだ国が「クールジャパン」とか言ってた名残があって、いやそれ鵜呑みにしてたわけじゃないけど、まぁでも普通に日本はサブカル、ポップカルチャーの先進国でしょぐらいには思ってて、そういう国でアイドルが彼氏いただけで坊主になって詫び入れるってすげぇな、クールさのカケラもねぇよって感じでけっこうみんなビビってて、まぁそこそこ印象的だった。けど、今だとこれ系のニュースあってもあんま誰もどうでもいいっつーか、要するに日本がエンタメがすごい発展してる国だなんて誰も思ってないから、まぁマネージャーとヤッたアイドルが自粛になっても普通っすよねー、そんぐらいの古臭い観念、アイドルはうんこしない的な信仰に振り回されてもおかしくないっすよね、的な雰囲気になってて、あー、みたいな。

 10年ぐらい前はまだこう、タレントとかユーチューバーの謝罪とか謹慎とかがそれ自体でネタに、コンテンツになってたって気もするけど、もう今はそういうふうにすらならないっつーか、誰がどこで何を謝ってようとどうでもいいみたくみんななってて、どうでもいいまま謝りのレパートリーだけが増えていく、みたいな。というか謝ってさえいれば中身も対象もなんでもいい、みたいな。謝るって形式だけが、抜け殻がそこらじゅうに散らばっててそれに満たされてれば俺らオッケーです、みたいな。内容も宛先もどうでもいいけどとりあえず名前のあるヤツは適当に謝っといてくれ、いや別にいちいち見ないけど謝ってはいといてくれ、みたいな。別に普段サザエさんとか見ないけど、サザエさんが毎週放送されてるって事実だけで安心できる、的な感覚と同じで。いやまぁ、結局欲しがってんだろうけど。謝罪を。ヒトがどっかの誰かに謝ってんの見て「どうでもいいよ」って切り捨てるのが優越感補充できて気持ちいい、みたいな。個別具体はどうでもいいけど謝罪ってカタチ、カタナシのそれだけは有名人全体で供給よろしく、みたいな。

 

消防と亡霊

 

 正月、久々に飲みに行った。小学校のときの同級生と。俺以外みんな結婚して子どもいるから、それ系の話聞いてるだけでも面白いけど、仕事の話とかも「へぇー」って感じですげぇな、みたいな。上野でスンドゥブ屋の店長やってたヤツはいつの間にかすた丼の店長になってていやー毎日賄いですた丼食ってるよとか言っててマジかよ、死ぬほど羨ましいわ、みたいな。電気設備的なトコで働いてるヤツは上司が急に死んだりして会社のナンバー3とかになっててストレスマックスでマジできつい、とかで太り出してたり。まぁ色々あるよな。

 消防士のヤツに何気なく、現場で焼死体とかって結構見たりすんの? って聞いたらあぁ全然普通にある、でも警察だったときの方がきつかったな、家で孤独死、とかの死体はマジできつい、蛆が湧いて腐りまくってその臭いがすごくて一週間ぐらい鼻に残るわ、とかなんとか。それに比べりゃ火事の死体はこんがり焼けて大して臭いとかないから全然楽勝、みたいな。

 でもまぁ、やっぱ火事とか救急車での搬送とか、そんなふうにヒトが死ぬ場面にしょっちゅう出くわすから、消防署だとどこでも、ひとつかふたつ怪談の持ちネタがあるらしくて、変な声が聞こえるとか誰もいないのにセンサーが反応するとかなんとか、まぁそれ系の。警察、交番とかもあるんだろうな。訊きそびれたな。看護師のヤツもいたからそいつにも訊けばよかったな。いやまぁ、どれも五十歩百歩なんだろうけど。そんなによりどりみどり、バリエーション豊かには現れてくれないだろ、幽霊の方も。ないだろ、そこまでのサービス精神は。

 

 

おっさんと兵役

 腹筋ローラー、1000円ぐらいで売ってたんで買ってみた、けどキツい。筋肉痛。いや腕と胸が。構えの時点で無理。ころころ転がして腹筋鍛えるトコまでいかねぇよ、みたいな。いやぁ衰えてんなぁ、おっさんだなぁ、とか思ったけどいや別に普通にガキの頃からそうだったわ、15歳ぐらいからとっくに常時運動不足だったわ、みたいな。

 

 カラダ、はともかく、アタマ的な意味でおっさんになったって実感するのは兵役絡みのニュース、話題のときだ。要は「日本も兵役をやるべき」的な話。定期的にその手の話はその時々の有名人とかが持ち出してきて、要するに若者に「国民」だの「公共」だの「市民意識」だのってもんを芽生えさせるために兵役やろうぜ的な、手段としての兵役、ってな風情の。

 20歳ぐらいの頃はそれ系の話は本当に吐き気マックスで無理、「教育」とか「啓蒙」のための兵役、体育会系環境って発想の時点でガチで加齢臭、マジ勘弁、って感じで、でもここ数年は自分のナカでそういうアレルギー的な感覚がなくなってきてて、「まぁ思考実験としては悪くないかもしれませんね(メガネクイッ)」みたいな感じになってて、そんで「あ、俺もそうなったんだな」みたいな。要するに若いヤツを「教育」したがる上から目線のおっさんに。あー、みたいな。歳はとりたくないもんですな。いや若いヤツは若いヤツで説教くさいんだけどな。20歳の自分も普通にそうだったわ。それを説教だって思ってなかった、「感性の発露」とか「初期衝動」とかって思って悦に入ってただけで。

 

 けど昔からちょっと興味あるのは「教育への欲望」って何なんだろうな、みたいな。いやつまり学校の先生になるとか塾の講師になるとか高校野球の監督になるとか、ぐらいのしょぼい「教育志向」はまぁまだ分かるけど、「学校をつくる」みたいなのって、ああいう野心とかバイタリティってのは、なんつーか「起業する」「社長になる」みたいな立身出世の欲望とどんぐらい被っててどんぐらい違うもんなんだろう、みたいな。「ヒトにモノを教えたい」って欲望は死ぬほどベタで普遍的で誰もが持ってるもんだろうけど、「ヒトにモノを教えるその箱庭をつくりたい」みたいなのは、なんかこう、人生10回やり直してもその発想にまではたどり着けない気がする。俺ごときでは。

 

修学旅行

 

バターサンド食ってる。母親の函館旅行のおみやげ。去年も行って今年もお行きになられた。まぁ気持ちは分かる。青森県民は基本みんな函館が好きでよく行く。そもそも日本屈指のイイ感じの観光地だってことプラス、県民ほぼ全員、小学校の修学旅行は函館だからその思い入れ、ノスタルジアも込みで何回も行きたくなる。むしろ青森からすりゃ北海道=函館みたくなってて、全然札幌とかまでたどり着かねぇよ、みたいな。

的なことを函館出身の知り合いに言ったら、どうも函館の小学生は青森に修学旅行に来るらしい。あー……、みたいな。いや俺ら青森のヤツは函館行って楽しいけど、函館のヒトが青森来てもあんま面白くねぇだろ、旅行先として絶対レベル低いだろ、みたいな。ちょっとかわいそうな気が。

 

中学のときは東京だった。修学旅行。でもあんまり、いまいちこう記憶がぼやっとしてて、憶えてんのは司馬遼太郎。移動時間とかの暇つぶし用に短編集、適当に1冊買って持ってったんだけど、それがやたらにエロ描写多くてすげー悶々としてた。いや司馬遼太郎の小説ってあの頃割と何冊も読んでて、確かにエロいシーンとかけっこう多いんだけど、その短編集は特にほぼ全編官能小説みたくなってていや参ったよ、みたいな。クラスメイトと相部屋だからオナニーできないし、もう早く帰らしてくれ、早くひとりにしてくれ、みたいな。もう司馬遼太郎にはエロ親父のイメージしかない。