観光客

 

東浩紀『観光客の哲学』、増補版出てたんで買った。久々に読んだけどやっぱ面白い。「観光客」って概念、っつーか言葉選びが最高で、これ読んだあとだと「旅」とか言ってるヤツ全員漏れなく厨2に見える。

 

cruel.hatenablog.com

山形浩生のこの記事思い出した。要は遊牧民ノマド)とかも基本同じルート回ってるだけで、別に自由な旅とかじゃありません、行く場所分かってるんで郵便とかも届けたりできます、的な。(東浩紀は「郵便」って概念も昔から使ってるけど、まぁなんつーか、言葉遊びで言えば、遊牧民も結局は郵便空間の枠内にいるわけなんで、この世界に「郵便」が通用しないトコなんかありません、ってわけで東センセーの「郵便」&「誤配」って概念もバッチリです、問題ございません、みたいな。)

 

ケルアックの『路上』が昔から「旅人」、バックパッカーどものバイブルだってのも割と疑問っちゃ疑問で、だってこれ要はアメリカ国内をうろちょろしてるだけの話じゃねぇか、みたいな。最後に麻薬欲しくてメキシコだかどっかに行くけど、それも日本人が韓国にプルコギ食いに行くようなもんだろ、みたいな。むしろこれって「旅」なんてもんの不可能性、「俺たちはどこにも行けない」って諦念を描いた小説だろって気がする。なんだろうな、なんつーか、すでに「旅依存症」になってるヤツがこの小説のしみったれ加減、ちんけさを見て「共感」する、「いやぁ、分かってんだけど「旅」ごっこから抜け出せないんだよなぁ」的な感情移入で読んでるってなら分かるけど、これ読んで「旅に出よう」ってなる、「啓発」されるってのはなんかよく分かんねぇな、どこにそんな要素あったんだよ、みたいな。

 

まぁ単純に、アメリカって面積でかいから、国内うろちょろしてるだけでも「旅」って錯覚がしやすいのかもな。いや、面積の問題じゃなく、「アメリカ」ってことに「旅」を捏造する、読者に「誤読」をさせる何かがあったのかもな。っつーか作者、ケルアック本人にすら。