最近やったゲーム(3)

 

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『Ape Out』ってゲームやってた。ゴリラが人間殺して逃げてくゲーム。エンディングの曲カッコいい。


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そんでたまたまこの本読んでた。ホモサピエンスがどうやってここまで来たか、的な話。この手の本は年に1回ぐらい読んで、けど読んだそばから内容忘れて結局昔からいつまで経っても知識が定着しなくてアレな感じで、まぁだから今回も新鮮っちゃ新鮮に読んだ。

 

要はネアンデルタール人は俺らホモサピエンスよりアタマ悪かった、つまり普通の意味でのアタマの良さ、要は物事の抽象化(「平和」って概念を考えるとか)は無理だったらしくて、でもネアンデルタール人ホモサピエンスより脳は大きかったらしくて、つまり俺らサピエンスとは違う意味でのアタマの良さ、考古学的な証拠としては残らないアタマの良さ、まぁ要は俺らサピエンスとは全然違うアタマの使い方、思いもよらないこと考えたりとかしてたかも、みたいな感じで、へぇ、みたいな。

 

ってか滅んだネアンデルタール人とかに限らず、ホモサピエンスも今より昔の方が脳は大きかったらしい。なんで脳が小さくなったかはよく分からんけど、著者の推測として、

文字が発明されたおかげで、脳の外に情報を出すことができるようになり、脳の中に記憶しなければならない量が減ったのだろうか。数学のような論理が発達して、少ないステップで答えにたどり着けるようになり、脳の中の思考が節約できたのだろうか。それとも、昔の人類がしていた別のタイプの思考を、私たちは失ってしまい、そのぶん脳が小さくなったのだろうか。

 

ただ想像することしかできないが、今の私たちが考えていないことを、昔の人類は考えていたのかもしれない。たまたまそれが、生きることや子孫を増やすことに関係なかったので、進化の過程で、そういう思考は失われてしまったのかもしれない。

 

そういや昔、東浩紀トークショーで言ってて、それは「もしネアンデルタール人とか、ホモサピエンス以外の人類が今も生きてたら、そいつらは多分サピエンスとは異なる思考回路、行動原理を持ってたと思うけど、でもサピエンスの男女よりサピエンスとネアンデルタールの男どうし、女どうしの方が「分かり合える」こととか結構あったりしたかも」的な話で、なんかそれはイイ話だな、って思った、ってのを思い出した。つまり今の世界に「ヒト」が1種類しかいないってことが生物としての男と女の違いを分かりにくくしてる、要は男も女も同じサピエンス、世界でただひとつの「ヒト」ってことで話はおしまい、めでたしめでたしみたくなってて、要するにネアンデルタール人とかがいたら俺らも「唯一の人類」って特権化、自己満足にハマらずに済んで、そこで思考が打ち止めにならずに、もうちょいちゃんと「性差」ってモノについて考えたりできてたかもな、みたいな。なんつーか、結局「同じ人間、ただ1種類の人間」って結論ありき、その枠の中でしか物理的にもジェンダー的にも男と女の違いを考えれてないって気は確かにしてて、まぁ、それはちょっと窮屈なのかもな、みたいな。何かが違う、けど答えだけが最初から決まってる、「同じ人間」って決まり文句だけが。同じ言葉だけがループする。死ぬほど。