擬古

 

今年「アイスクリン」ってアイスをよく食ってる。オハヨー乳業の「昔なつかしアイスクリン」。多分80個ぐらい食ってる。あとセブンイレブンの「レトロプリン」。これも最近結構食ってる。これは最近見つけたからまだ10個ぐらいかな。まぁでも食い続けるでしょう、今後も。

 

どっちも単純にうまいから食ってんだけど、いや意識としてはそうなんだけど、でも無意識としては両方ともそのフェイクオールド、「古いぜ」的な装いに惹かれてんだろうなって気もする。見事にその企業戦略に乗せられて買ってんだろうなと思う。いや別にいいんだけど。うまいし。

 

アイスクリンとレトロプリン食うと森見登美彦がアタマに浮かぶ。森見登美彦の小説も「擬古」、明治~戦前あたりの近代文学のパロディだけど、なんつーか、俺も含めて大半の読者はそれをパロディとは思ってねぇよな、みたいな。森見登美彦は「シャレ」としてああいう文体を使ってるわけだけど、俺ら読者はそう思ってなくて、もっとガチで受け取ってるよな、みたいな。いや理屈としてはそれが諧謔近代文学のモノマネってスタイルだと分かってんだけど、明らかにそういう目的で読んでねぇよな、近代文学の諸々の作品の「代替物」として読んでる、消費してるよな、みたいな。

 

要するに近代文学の「あの感じ」、大正ロマン、昭和モダン、云々のあの雰囲気を味わいたいけど実際に漱石とか読むのはだるい、いまいち起承転結もねぇしだらだらしててつまんねぇし、だから代わりに森見登美彦読んどくか、こっちはちゃんとラブコメしてたり事件起きたりオチがあったりして面白れぇから上位互換じゃん、「古さ」を味わいつつ退屈しなくていいトコ取りじゃん、言うことねぇじゃん、みたいな。――そんな感じで、森見登美彦の「ネタ」を「ベタ」に受け取ってて、お手軽な「代替物」にしてて、あー、みたいな。

 

まぁでも作者も分かってんだろうな。そんなことは。諦めてんだろうな。俺みたいなアホな読者のことは。それはそれで、そういう状況もまぁそれなりに、それはそれとして、「伝わんねぇ」ってことのマゾヒスティックな快楽を楽しんで書いてんじゃねぇかな。いや分かんねぇけど。いや別にいいけど。どっちでも。