疲れた。残業続いて疲れてる。いや疲れてるっつーか感傷的になってる。いや疲れてるから感傷的になってんのか。
ディックの『ヴァリス』、10年ぶりに読み返した。10年越しで読み通した。帰りの電車でちまちま読んでた。感傷的な話、ってか書き方だった。こんな小説だったっけ。泣きそうだ。
「おれの死んだネコは……」そこで口を止め、それから声を張り上げた。「おれの死んだネコはバカだったとさ」
「宇宙にはとても厳しい規則があるんだとさ。だからあんな種類のネコ、走っている車の前に頭から駆け込むような種類は、長生きできないんだと」
「でもおれは言ったんだよ。『なぜ神様はおれのネコを賢くしてくれなかったんだ』って」
「おれのネコがバカだったのは、神様がバカに作ったからだろう。だからそれは神様の落ち度であって、おれのネコの落ち度じゃない」
「あの子は救済者じゃない。おれたちみんな、お前と同じくらい狂ってるぞ、フィル。連中は北で狂ってる。おれたちはここで狂ってる」
「お前、ホースラヴァ―・ファットだと思い込んでいたときのほうが好感が持てたよ。あいつは好きだったね。お前ときたら、おれのネコ並のバカだ。バカは死ぬってんなら、なんでお前が死んでないんだよ?」
「酒場にすわって飲む。そうすりゃ世界が救われるのも間違いないな。だいたい、そもそもなんで救わにゃならんのだよ」
しばらく前からぼくはシマウマ――1974年3月に目の前に顕現した存在をぼくはそう呼んでいる――は実は、線形の時間軸に沿ったぼく自身の自己を融合させた総体なのではないか、という見解を持っていた。シマウマ――またはヴァリス――はその人間の超時間的な表現なのであり、神様じゃない……
どうでもいいや、とぼくは疲れて思った。もう諦めた。
ぼくは死について考えるようになった。
実は、それを考えたのはぼくではなかった。ホースラヴァー・ファットだった。
ぼくは「お前、何がしたいんだ」と言った。本気だった。
「彼女を見つけること」とファット。
「だれを?」
「知らんよ。死んだ子。二度と会えない子」とファット。
そのカテゴリーに入る子はたくさんいるぞ、とぼくはつぶやいた。悪いがファット、お前の答えは曖昧すぎる。
「『シマウマ』なんて、いねーんだよ。お前自身なんだよ。自分自身も見分けがつかないか? お前だ、お前しかいないんだ。ケヴィンのネコみたいだ。お前、バカなんだよ。最初から最後までそれに尽きるんだ。わかったか?」
「オレから希望を奪うのか」
「何も奪ってない。もともと何もなかったんだからな」
「このすべてがそうなのか? そう思うのか? 本当に?」
「ケヴィンは正しいよ。すべてはあの死んだネコにある。大審問官はケヴィンに答えられない。『おれのネコはなぜ死んだんですか?』答え『見当もつかんよ』。答えなんかない。道を渡ろうとした死んだ動物がいるだけ。ぼくらみんな、道を渡りたい動物で、でも途中でまったく気がつかなかった何かがぼくたちをなぎ倒す。ケヴィンに訊いてこいよ。『お前のネコはバカだった』。だれがネコを作った? なぜネコをバカに作った? ネコは殺されて学んだのか、そしてそうなら何を学んだ? シェリーは癌で死んだことで何か学んだのか? グロリアは何か――」
「わかったよ、もう十分」とファット。
「ケヴィンの言う通り。でかけて女とヤッてこい」とぼく。
「どの女と? みんな死んだ」
ぼくは立ち上がり、ファットのところへ行って、手であいつの胸を押しやった。「少女は死んだ、グロリアは死んだ。それを蘇らせるものは何もない」
「時々夢に見るんだが――」
「それをお前の墓碑銘にしてやるよ」
「最も見つかりそうにない場所を探せよ」とケヴィンはあるときファットに告げた。どうすればそんなことができる? これは矛盾だ。
ぼくは居間でテレビの前にすわった。すわった。待った。見た。まんじりともしなかった。ぼくたちが、もともと、はるかな昔、そうするように言われたように。