時間と自我

 

「わたしたちは時間の初めも終わりも想像できません。もし最初の瞬間というものがあるなら、その前には何があるでしょう。(…)聖アウグスティヌスは解決を見出しました。「ある時点にではなく、時間とともに、神は地上を創造された」――創造の始まりは時間の始まりであったということです。しかしそれで何かが解決したのでしょうか。最初の瞬間より前のことを考えずにすむことが可能なのでしょうか。それでもその瞬間に先立つ瞬間が必要になりますし、その瞬間に先立つ瞬間も必要になり、それが無限に繰り返されます。」

 

「わたしは他の誰かであるほうがいいです。でも、もし本当に他の誰かであったなら、わたしはきっとその誰かであることを好まないでしょうね。不幸なことに誰になろうと、〈わたし〉であること、つまり〈わたし〉であると思うことには変わりありません。ところで〈わたし〉とは何でしょう――これはわたしたちにはわかりません。『ミリンダ王の問い』という仏教徒の教理問答を読んだことがあります。その第一条は、個我は存在しないということです。これが仏教徒の最初の信条なのです。のちにそれはヒュームやショーペンハウエルや、マセドニオ・フェルナンデスによって唱えられました。そしてわたしはわたしが存在しないと信じるに至ったのです。――これは矛盾でしょうね。なぜならこの結論に至ったのはわたしであって、隣人ではないのですから。」