サッカー

 

久々にサッカー見た。ワールドカップ、日本対コスタリカ。久々に見るとサッカーって難しいな。「ボールを持ってないヤツらの動きが重要」ってのは理屈としては分かるんだけど、分かっててもボールにしか目が行かねーから結果陣形も戦術もくそもなくて、単にボールがあちこち跳ねたり転がったりしてるようにしか見えねぇよ、みたいな。まぁボールがあちこち跳ね転がってるだけでも結構面白いってのもすごいけど。

 

www.youtube.com

そんでオレンジレンジの『チャンピオーネ』思い出して久々に聴いてた。めちゃくちゃイイ。2006年のワールドカップのテーマソングだった曲で、何がイイってこれがアスリート、「闘う選手たち」を描写したモノじゃなくて「それを適当に見てるにわかファン」を歌った曲だってのが最高にイイ。要するにサッカーだのスポーツだの「日本代表」だのってもんは所詮その辺のにーちゃんねーちゃんが集まって酒飲んでバカ騒ぎするための口実程度の価値しかねぇんだよってことを示してる曲になってんのがめっちゃ好きだ(まぁ元々オレンジレンジ自体好きなんだけど)。要はアスリートだの「真剣勝負」だのってもんがなんぼのもんじゃい、みたいな。気楽にいこうぜと。っつーか要は「闘ってる」アスリートなんかより酔ってはしゃいでる街のあんちゃんの方が「格上」に決まってんだろ、みたいな。そういう感覚をズバッと切り取った曲だと思う。

 

なんつーかそれは、文学の世界のテクスト論、「作者の死」とかと同じ発想で、要は作者のテーマとか企みとか想い、作品に込めた「切実さ」なんてもんは完璧にゴミであって、作者なんてもんは路傍の犬のくそで、それを好き勝手に読んで屁理屈こじつける読者の方が偉いに決まってんだろ、みたいな。要は「作品」なんてのは、単にそこにごろっと犬のくそみたいに転がってるだけで、別にどう読まれようが知らねぇし、っつーか読まれなくてもいい、そもそもどうでもいいわ、みたいな。――って感じに、大昔、「作品」が「作者」から解放されたみたいに、少し昔、オレンジレンジはテーマソングってモノをアスリートから解放した、音楽を「闘っちゃってるヤツら」への奉仕から解き放ったぜ、めでたしめでたし、みたいな。まぁ3歩進んで2歩下がる的に、相変わらずアスリート様とかを崇め奉ってる「テーマソング」も山ほどあるけど。