散歩

 

あーって感じでかったるくなって仕事早退した。まぁ1時間半とかかけて通勤して3時間かそこら働いてまた1時間半かけて帰ってくるってのも間抜けな気するけど。なにやってんだ? みたいな。

 

そんでちょっと寄り道した。家から5分、ぐらいの場所、丘の上、昔通ってた小学校に行った。10年ぐらい前に廃校になった校舎。

思いっ切り感傷にふけろうと思ったけど寒くてそれどころじゃなかった。わざわざ坂道上ってきたのはいいけど割と30秒ぐらいで飽きて、腹も減ったからすぐ帰った。帰ってラーメン食った。

学校のすぐそば、神社に寄った。なんとなくあれ思い出した、『ひぐらしのなく頃に』。オヤシロさまがどうとか、みたいな。高校に上がる直前の春休みにすげーハマってぶっ通しでやりまくってて、面白かったけどノベルゲームって死ぬほど時間かかるなこれ、とか思って、そういう意味じゃそれ以来文字を読むゲームにちょびっと苦手意識っつーか、なんか文字を、話を死ぬほど長い時間強制的に能動的に読まさせられてるっつーか、そんなこんなで少なくとも個人的には、ゲームってモノがインタラクティブだとかプレイヤーの主体性がどうこうって感覚には全然ならないんだよな。『428』やったときとかもそう思ったけど、なんか話読み進めるためにいちいちちまちま操作しなきゃならないってのが、強制的にこっちも「ノラセられてる」感があって、おいちょっと待てよ、みたいな。いいからお前の方で勝手に喋っとけよ、こっちは聞くのに集中するからよ、みたいな。そこはお互い分業制でいこうぜ、みたいな。

 

『ドキドキ文芸部』とかにしても、なんかプレイヤーに「能動」を強いるゲームって逆に「読者」ってモノを舐めてんじゃねぇのか、みたいな。「読者」にあれこれゲーム上の操作をやらせて物語に干渉させることで「主体性」を施してやるよ的な上から目線っつーか、結局それは「クリエイター」>「読者」って概念の再強化、「読む」だけの受動的なヤツは非創造的、非生産的なカスってクリシェを、そのマウンティングを繰り返してるだけなんじゃねぇの? どうもこう、そういう意味でゲームクリエイターの「企み」とかって結構鼻につくことなきにしもあらず、みたいな。そもそも「主体」ってお題目を信じ過ぎてないっすかあんたら、みたいな。