伊藤潤二

 

伊藤潤二の漫画、ホラー漫画だけど笑えるのがイイ。というかホラー漫画ってモノが「お笑い種」ってコトを暴露しちゃってんのがイイ。ヒトをビビらせよう、怖がらせようって欲望のその浅ましさっつーか、そういう企み、「作為」の間抜けさに伊藤潤二はすげぇ自覚的で、だから伊藤潤二の作品はもう全部がメタホラー、メタフィクションで、要はどう作ろうとホラー作品なんてモノは全部が文化祭のチープなお化け屋敷でしかねぇんだ、みたいな。っつーかホラーに限らずあらゆるジャンル、何かを描こう、「読者」に何かを思わせよう、影響を与えようとする限りフィクションだろうがノンフィクションだろうがどうあがいても全部噓くせぇわ、みたいな。うぜぇよ、みたいな。伊藤潤二の漫画はもう要は全部それを言い続けてるだけのことで、だからどれも全部同じっちゃ同じで、っつーか「違う」ってふうには誰もなれねぇよ、みたいな。

 

だから伊藤潤二読んでるともうヒトが作ったモノ全部がうんざりって気分になって、じゃあその辺散歩してぼーっと景色でも見とくか、みたくなって、でもそれはそれで柄谷行人日本近代文学の起源』的な、要は何気ない風景を見て何かを思う、思おうとするって振る舞い自体が後天的なモノ、「制度」の手のひらの上でしかねぇんだ、みたいな、っつーか要するに景色なんか見てそれがなんだってんだ? みたいな。何回見たって同じ感傷、陳腐な「物思い」をループしてるだけだろ、全然「人間」から、「作為」からエスケープできてねぇよ、みたいな。ほんと疲れるわ、これぐらいにしようぜ、って感じの。じゃあもう伊藤潤二なんかそもそも読まなきゃ良かったな、でも読まなきゃ読まないでアタマの中のうんざり感、「作りモノ」への倦怠感をうまく掴み切れない、言葉にできないままで、いや、言葉にしようがしまいがどっちみちどうにもなんねぇんだから同じだよな。どっちみち疲れてるわ、どいつもこいつも、どこの誰だろうと。