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『ホットラインマイアミ』やった。1と2。死んで0.1秒で生き返ってリトライしてクリアしてくゲーム。1と2両方やって、20時間ぐらいで全クリして、誇張じゃなく3000回ぐらい死んだと思う。面白かった。
何年か前、たまたまウィキペディアでこのゲームの記事見て、そのあらすじがめっちゃ好きな感じだった。特にラスト、エンディングの紹介が。
(…)最初は嘲りの笑みを浮かべていた二人だが、Bikerが上階のパソコンのパスワードを解明したことを教えられると、笑みを消してことの真相を話し始める。彼等は『50の祝福』を名乗る国粋主義の集団で、ソ連との摩擦が強まっていた冷戦期にアメリカ社会へ潜り込んできたロシアンマフィアを排除するため、発行しているニュースレターの愛読者達にマスクと指令を送り、人殺しをするように脅迫していたと語る。彼等は更に、この計画が既に反米的な勢力の排除に一定の成果をあげており、自分達のバックには強大な権力者が付いていることをほのめかす。しかし、強要される殺戮にうんざりしていたBikerはそうした「真相」を一蹴し、彼等を殺害して立ち去る。クレジットロールが流れる。
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上が「1」のエンディングで、基本「1」は序盤から何が何だかよく分からんまま主人公が命令されてヒトを殺しまくるって感じで、それが最後ようやくこんなふうに「右翼の秘密結社の陰謀でした」ってふうにタネ明かしがされて、そんで動画のヘルメット男(こいつは終盤にちょっとだけ使える裏主人公)が、「あぁそうっすか」って感じでその画策してた黒幕を殺して終了、みたいな。
要するに「でかい右翼の陰謀」みたいな、いかにもメタルギアとかあの辺の大げさなSF、ディストピアものみたいなこれ見よがしの「真相」をそれこそウィキの表現通り「一蹴」してるってのがマジでイイと思った。っつーか物語の「真相」なんてこんなもんしかヒトは思いつけない、その陳腐さにウンザリしてるって感じを描いてるラストだってのが感動的だった。表主人公は最後までよく分らんままヒトを殺しまくって、そんで裏主人公が探偵役になってその「真相」を暴く、でもその真相にはくその価値すらありませんでした、みたいな徒労感。どうでもいいわ、みたいな。そこを描いてるってのが、なんつーか表現としてすげぇ倫理的、みたいな。
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なんだけど、その「倫理」が「2」だとちょっと薄まったかなって感じ。要するに「2」は「1」の謎だったりあいまいだったりした部分を後日談とか前日譚としての群像劇で補完するって感じの内容になってて、それはそれで話としては面白いんだけど、でもそれは結局、「1」でくそをぶっかけて終わりにしたはずの「右翼の陰謀」って紋切型の物語起動装置が再稼働することになってて、うーん、みたいな。
付け足すと、上の「1」のエンディング動画、あれは最後に黒幕の2人を殺さないまま立ち去ることもできるようにはなってて、そんで「2」の後日談でその2人が普通に生きて登場してるから、要は「正史」だとヘルメット男は2人を殺さなかったってことになってて、つまりもうそれが象徴的だけど、要するに「2」は「1」を割と強引に「作風」を方向転換させたモノっちゃモノだよな、みたいな。あそこであの2人を殺すのが「真相」どうこうの陳腐な物語への決別、幕引きの証なんだから、あぁいやでも、あえて殺さないまま立ち去れるって選択肢が用意されてたのもそれはそれで「続き」がある、続編作りますよって事前案内でもあって、まぁなんだかんだ、作者的には「1」で殺して終わりってのが倫理上はベストだって分かってても、まぁそれはそれとして話の続き作りたいよね、みたいな欲望もあって、まぁそれはそれで、別に責められることでもないよな、って気もする。鮮やかに終わりゃイイってもんでもねぇだろ、みたいな。現実も同じで、普通に考えて誰も、どんなことも終わりなんてなくて、俺たちはキッチリ正しくは終われない、終わらせることなんてできない、間違ったまま延々ウシのよだれみたいに続いてく、何もかも、みたいな。くだらない「真相」を手放せないままだらだら喋り続けてく、いやぁだるいっすね、だるいけどやめらんないっすね、まぁそんなもんっすよね全部、みたいな、そういうのを表現してんのが「2」なのかもな。分かんねぇけど。